私は母は満州にいたと書きました。長野に満蒙開拓団の記念館があると聞いて先日行ってきました。記念館で得られた情報はなかなか衝撃的なものでした。母は開拓団ではなく、その養父が学校の教師の仕事で渡ったのですが、展示内容は記憶にあるものがたくさんあったようです。
そこで知ったのは、1945.8.9のソ連侵攻時、満州そしてそこに住む日本人を守るべき関東軍は既に南に逃げており、暮らしていた日本人たちは丸腰だったという事実です。日本政府、そして日本軍はソ連侵攻を予知できる立場でありながら日本人を見殺しにしたのです。生き延びた日本人も男性はシベリアに連れて行かれたり、女性は辱めを受けたり、乳幼児は現地の中国人に泣く泣く渡して逃げた結果残留孤児になったり、悲惨な目にあった人が多かったと聞きます。
母は当時子供だったし詳しいことは話しませんが、私が政府を心の底からは信じられない理由がここにあります。