20代にした仕事

このカテゴリーでは起業のノウハウなどを書くつもりでおりますが、その前振りとして、起業に至るまでの過程、つまり具体的な仕事の内容やその時の心理状態などを記録して置こうと思います。


今回は「20代での仕事」です。

学生時代の卒業研究ではConcurrent Pascal(当時流行りの構造化言語Pascalを並行動作記述できるように拡張したもの)のクロスコンパイラと68000マイクロプロセッサによるインタープリタを設計しましたが、早く実際に動くコンピュータを作りたくてNECに就職しました。

入社後すぐ府中事業所に配属され、メインフレーム最上位機種の中央処理装置の論理設計をすることになりました。当時NECのメインフレームはACOS6と言う1ワード36ビットのマシンと、ACOS4と言う1ワード32ビットのマシンが並存しており、SCUと言う中央処理装置とメモリやIOPの間を取り持つ装置を両系列に対応させようと言うことで四苦八苦しておりました。

テクノロジ的にはCML=current mode logic(ECLに近いらしいが私に詳しくは説明できない)を使った独自開発のロジックICを使っていました。

設計手法は、最初に論理回路を手書きして、それを外注でパンチカードに打ち込んでもらい、それを大型計算機のラインプリンタにロジックシンボルを打ち出しては目視でデバッグ、MCP=multi chip moduleと言うセラミックの板にチップを貼り付けたモジュールが上がってきたら実機でデバッグ、と言う今では信じられないような非効率で危なっかしい設計をしていました。

回路図をCADに直接入力してプリンターで出力できるようになったり、入力した回路の論理シミュレーションができるようになったのは数年後のことです。

論理合成はまだ実験段階で、ほぼ回路に近い記述を回路素子に置き換えてくれる、くらいのレベルでした。

ACOS4のSCU(中央処理装置とメモリ、IOPをつなぐ装置)、ACOS6のSCU、ACOS6のCPU内蔵キャッシュメモリ、を次々に設計しているうちに技術的な閉塞感と家庭の事情等々から転職を考え始めました。近所のちっちゃな中古住宅の取引価格が1億円を超えた頃、過労で精神的にも我慢の限界だったと思います。一生奴隷のように働いて家も買えないのか!って。

〜続く

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