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歴史の理解を妨げてきたもの

歴史が好きな人と、嫌いもしくは興味ない人とは真っ二つに別れるようです。

私は最近まで後者だったのですが、数年前突然前者になりました。歴史を分かりやすく、興味を持てる人や素材、テーマに出会ったのが大きいと思います。

歳を取るにつれ、見聞したものの蓄積が増えて興味ある分野との関連が知りたくなったのと(昨日書いた外国人の英語教師との交流等)、海外のニュースが歴史を踏まえないと理解できなくなってきたのと(朝鮮戦争とか英国のEU離脱とか)、戦後引揚者の父母の話を次世代に伝えないといけないと思ったのと。。。諸々条件が積み重なったこともあります。

そこで今更ですが、歴史に興味を持てなかった、歴史教育に苦言を呈しておきたいと思います。

1)先史時代から古代、中世、、と言う時代の流れに沿った勉強は一考の余地がある

今までも年代をさかのぼりながら解説するような書籍やTVプログラムはありましたが、ただ単純に「この事件が起きたのはこう言うことがあったからだ」を続けていても年代順に事件を追うのと本質的には変わりがありません。

ここで提案したいのは、初学者が興味を持てる、持ち続けられるテーマを掘り下げたらどうかと言うもの。今身の回りにある物品の由来などがいいと思います。例えばコーヒーの歴史とか、冠婚葬祭とか。受験には役に立たないでしょうが、1年掛けて世界史をやるならせめて1ヶ月に1コマくらいはそんな息抜きがあると興味が持続できるのでは。

2)その時代の人間になった気持ちになる。現代の常識に捉われない工夫をする。

教科書は検定の縛りもあり、学会で定説になっていなかったり史実に記載されていない想像・空想や、先の大戦などで迷惑を掛けた国民を刺激したり、宗教対立などナイーブな記載は避ける傾向があるようですが、だからこそ教室ではもっと具体的で、極論で物議を醸すような議論もしておくべきではないかと思います。もちろん異論反論をお互い認めた上で、です。このブログでは非専門家である筆者が、自分の責任で思うところを書くことに意味があると思っています。

3)1)とも関連しますが、一番知りたい、知っておくべき近現代史が受験時期になって端折られてしまうのは学習スケジュールを考慮して欲しいと思います。極論を言えば、近現代史とそれ以前の歴史は全く別物の扱いでもいいのではないかと思います。近現代史は現代人必須の教養、それ以前は趣味とか純粋の学問ということです。理系で言えば、気化熱を知っていると夏が快適に過ごせるが、宇宙の果てがどうなっているかを知ったからと言ってほとんどの人の生活には影響しない、と言う例えでどうでしょう。

今日のところはこれくらいにします。

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